ロシアとインドに住んでみた

モスクワの僻地駐妻(へきちちゅうづま)生活記

モスクワ建築探訪(1) スターリン建築・セブンシスターズを見に行こう!

 

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今日はモスクワのスターリン・アンピールを見に行きます。
ちょっと難しい説明も入るので、建築に興味がない人は写真だけ見てくださいね。

スターリン・アンピール 1930年代~1950年代

幻のソヴィエト大宮殿設計のコンペというソヴィエト建築史のビッグ・イベントが
行われたんだけど、
この時、スターリン
当時の流行していた構成主義やその他のアヴァンギャルド建築を全否定

そして、スターリンは第2次世界大戦での勝利のあと、
疲弊した国家の復興のために、1947年のモスクワ市建都800周年に際し
モスクワを「世界の模範的首都」と命名

首都のイメージを創出すべく、
ソ連史において最も象徴的な
7本の摩天楼をモスクワに建てたんだよね

そんなプロパガンダ的自己暗示建築にも実はプラス要素はあって、
第2次世界大戦の地獄のような独ソ戦で大きなダメージを受けた
ソ連を復興させて、
20世紀の大国といわれる地位まで引き上げるけん引力になったのは事実だね

モスクワ国立大学 1949-53年 L.ルードゥネフ他

モスクワ大学の新校舎を建設することになり
当時、雀が丘の村の菜園だった320haの土地に
短い工期で大学の研究施設やスタジアムなど
407の建物を建てたんだよね

その中でもシンボルとなるのがこのモスクワ大学の本館

高さ235m・36階建てでセブンシスターズの中でも最も高いね

頂に立っている星を抱く尖塔だけでも57mとかなり威圧的

立っている場所が雀が丘の上でもあり、モスクワ南部の至る場所からでも
仰ぎ見ることができるからスゴイよねぇ

完全なシンメトリーで、周囲の棟にも時計、温度計、気圧計が取り付けられている。

ファサードの正面が雀が丘の展望台から続く庭園になっていて、
噴水や有名な学者の銅像が並んでいるよ

雀が丘から仰ぎながら散歩するとホントに威圧される

芸術家アパート 1948-52年 D.チェチューリン他

モスクワ川にそってウイングを伸ばしている

天才バレリーナガリーナ・ウラノワをはじめ数々の芸術家が住んでいたことで芸術家アパートと呼ばれる
176m、24階建ての高層住宅

個人的にはセブンシスターズの中で一番好き

なんせモスクワ川沿いにデンとかまえ、その姿は赤の広場の南側の橋からでも
ばっちり見ることができるね

ちょうどモスクワ川が曲がる地点にあるんで、
クレムリン側からみるとうまく景色に溶け込んでる!

近づくと、左右に広げたウイングが異常に広く、
また、その細部の彫刻が凝っていることがよくわかるよ
住宅だと思うとやり過ぎ感ハンパないけどね
自分が住むなら、ちと恥ずかしいかも・・・・・

彫刻が素晴らしいよね 

ロシア外務省 1948-53年 V.ゲルフレイフ他

27階建てで、サドーバヤ通り沿いスモーレンスカヤ広場の正面に鎮座する外務省

セブンシスターズの中では一番重厚で雄々しい存在かな

まず装飾が少ない
そして、本棟以外の部分が少なく、スパッと本棟が建っている
更に尖塔が短いくてニョキニョキしていない

もっとも最初のデザインでは建物頂上の尖塔すらなかったんだけど、
建設中に視察に来たスターリン
「ところで、尖塔はどこにあるの?」
って質問したことで、スタッフが忖度し、
記録的な速さで図面に付け加えられたんだって

男性的な外務省、女性的な芸術家アパートって感じかな

文化人アパート 1948-54年 M.ポソーリン他

文化人アパート

22階建て、外務省同様にサドーバヤ通り沿いにあるセブンシスターズ
外務省からも近いし一緒に見れるよね

街中なんで、横の広がりが少ないのは外務省と同様

重厚な装備の中にも、彫像や彫刻がありバランスがいいね

何より素晴らしいのは、本棟を中心に本棟を囲むように建てられた付属棟

これが正方形をなして、その中心に本棟を置いているので、
どっち方面から見ても正面に見える

ちなみにこのアパートは今でも普通に借りて住むことができる現役住居

日本人の駐在員でも住んでる人がいたけど、さすがに設備は古くなってたね

ラディソンホテル 1953年-57年 A.モルドゥヴァーノフ他

キエフ駅からほど近く、当時はホテル・ウクライナの名称で営業した29階建てのホテル

現在は、ラディソンホテルが買収してラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワとして営業しているけど、
当時ウクライナキエフから来た人たちは、
まずモスクワのキエフ駅に到着し、
そのすぐ近くにあるこのホテル・ウクライナが歓迎していたんだろうね

インテリアもウクライナの民族的テーマでまとめられ、
広場にはウクライナの国民的作家T.シェフチェンコ像が建てらえれるなど
かなりウクライナ色豊かめ

モスクワ川沿いなので、その長い全貌を川岸に見ることができるのも
この建物を際立たせているよね

フルシチョフ時代のホワイトハウスと対峙するように川を挟んで立っているのも皮肉的だね

ホテル・レニングラード 1949-52年 L.ボリャコーフ他

17階建ての現役ホテル

3つの長距離列車ターミナル駅が集中する鉄道広場前に鎮座している。

セブンシスターズの中では最も低いものの、
地方から鉄道でモスクワに着いた旧ソ連時代の旅行者は
まず、鉄道駅を出た瞬間にこの建築物の存在に驚いたんだろうね

この広場は3つの駅とこのホテルが異なる建築様式を取り入れつつ、
広場の調和を崩していないのが興味深いよね

現在のホテルの経営はヒルトンで、
ホテル名はホテル・ヒルトン・レニングラーツカヤ・モスクワ

とうとうこの建物も西側資本の手に落ちたんだねぇ・・・

鉄道省 1948-53年 A.ドゥーシュキン他

ホテル・レニングラードから徒歩すぐのサドーバヤ通りにある旧鉄道省

建設当時は真ん中の本棟が鉄道省の庁舎で、両脇の付属棟が住居だった。

サドーバヤ通り沿い、しかも鉄道広場から徒歩圏ということで、
立地としてはいいし、
なのに、なぜか全く人気がない存在

日本人駐在員にセブンシスターズクイズをすると、この建物だけ名前が出ない・・・

まず、高さが133mでホテル・レニングラードに次いで低い

しかも色が白いし、奥行がないし、特に装飾がない
特に正面から見るとのっぺりしている
この辺りが不人気の理由かなぁ

やっぱり大きさって大事

そう思うとスターリンが超巨大建築を建てたことも
意味があったんだね

※地図は当該ビルのテナントを指しています。

関連リンク

初心者向け ロシア建築の歴史

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