モスクワ建築探訪(2) 構成主義を見に行こう!
プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今日はモスクワの構成主義建築を見に行きます。
ちょっと難しい説明も入るので、建築に興味がない人は写真だけ見てくださいね。
- 構成主義 1920年代~1930年代
- ロシア統計委員会 ル・コルビュジエ 1928-35年
- ロシア連邦農業省 A.シューセフ 1928-33年
- 運輸人民委員部ロシア連邦運輸省 I.フォミン 1930-36年
- 鉄道員総合診療所 I.フォミン 1933-36年
- ルサコーフ・労働者クラブ K.メーリニコフ 1927-29年
- ズーエフ・労働者クラブ K.メーリニコフ 1927-29年
- モスセリプロム(モスクワ農業産業庁) D.コーガン 1923-24年
- メーリニコフ邸 K.メーリニコフ 1927-29年
- 関連リンク
構成主義 1920年代~1930年代
時は20世紀初頭、それまでのモダン様式は否定され、
アバンギャルド的な前衛的な建築が流行りだしたんだけど、
その中でも最も論理的だったのが構成主義
装飾は一切せずに
建物の構成体による構成美と空間による空間美で勝負する斬新な主張
作品の芸術的要素は装飾ではなく、建築的構成が担うという新しい考え方で
テクトニック(構成法)、象徴性、造形性、ダイナミズム、プロポーション
といった要素で成り立たせる
ファサードも構成自体で表現するので、建物の一部が特徴的になるケースも多い
当時は流行の最先端としてアヴァンギャルド時代を作った構成主義は
スターリンに否定され
たった10年で終焉し次の時代では否定される
という悲劇で終わってしまった・・・
ちょうどソ連は新国家の公式なモニュメント的な建築を必要とする時期で、
構成主義は国家的モニュメントとしては威信に欠けていたんだよね
タイミングが悪すぎた・・・
ソヴィエト建築史の劇的な1ページとも言える活動だったのに、
完全に裏返された
もしスターリンが構成主義を評価したら
モスクワの風景は180度違う感じになっていたんだろうね
では、構成主義の旅に行こう!
最初の4つは徒歩で回れるよ
ロシア統計委員会 ル・コルビュジエ 1928-35年
近代建築の巨匠ル・コルビュジエによるソ連に建てられた唯一の建築だよ
柱に支えられ中空に浮かぶ3つの長方形の建物、
その中央に位置する円形のファサードを持つ大ホール
という構成
コルビュジエの建築要素であるピロティ、自由な平面、屋上庭園、横長の窓、
独立した会議場、そしてそれらを軽快にまとめる立体感が全て詰まった作品
コルビュジエは構成主義の黄金期にこの作品を手掛け、
次の時代の幻のソヴィエト大宮殿コンペにも参加したものの、
ソ連において建築はスターリン・アンピールの時代になってしまう・・・
次の時代において、この斬新な建築は「奇妙な足を持つエイリアン」とまで酷評され、
その特徴ともいえる、長方形の建物を支える足の部分はコンクリートの壁で覆われてしまった・・・
コルビュジエ様になんてことをするんだか・・・
正面はアカデミカ・サハロフ通りПросп.Академика Сахораваなんで、
間違って、ミャスニーツカヤ通りМясницкая Ул.から見ないようにね。
そっちは裏側だよ
ロシア連邦農業省 A.シューセフ 1928-33年
これは分かりやすい構成主義だね
均等のとれた非対称で、
構成体を強調する帯状のガラスや
構成主義に許された唯一の装飾ともなど、
構成主義の特徴をほぼ全て取り入れた特徴的な建築物だよ
角のの切り方もとってもおシャレだよね
シリンダー部分がファサードになっていて、サドーバヤ通りでも存在感を発揮してる
私のかなり大好きな構成主義建築
運輸人民委員部ロシア連邦運輸省 I.フォミン 1930-36年
18世紀の在郷軍人宮殿と隣の建物を利用して作った建築
1-2階部分は既存の建物の側面に柱を付け構造的に補強し、
3-5階部分を新たに増築した。
猛進する機関車をイメージしたらしく、
角に時計塔を配しているあたりはニクイね
ファサード付近で垂直に連続している窓は、
既存建築からそのまま連続させ、
高さを強調しているんだよね
となりがスターリン・アンピールのセブンシスターズというのも皮肉だね
鉄道員総合診療所 I.フォミン 1933-36年
正方形の平面でありながら、真ん中を中庭にして
道路に対して凹状にまとめ、
2か所の丸みを帯びたファサードを演出した作品
通常角地での設計は凸状になりがちなところを逆転の発想で作ったんだよね
※地図はこの建物の中にある薬局を指しているよ
ルサコーフ・労働者クラブ K.メーリニコフ 1927-29年
1926年にソ連政府は文化教育とプロパガンダ普及のために、
全国に労働者クラブを建築すべく政令を発表し、
雨後の竹の子のようにできたんだよね
建設ラッシュ時にはコンペすら経ずに設計・建築されたので、
個性のない建築が多い一方、
イデオロギー検閲をする余裕もなかったので、
後世に残るようなユニークな傑作もうまれたんだよね
ちょうどこの時期に時代を謳歌していたK.メーリニコフは
このルサコーフ・労働者クラブを含む4つの労働者クラブを設計した
この設計について、発注者は驚いたんでけど、
メーリニコフの懸命な説得で実現にいたったらしい
3つのファサードがせり出すデザイン
100年近く前の建築なのに、未だにその斬新さは色あせないね
現在は、ロマナ・ヴィクチュカ劇場となっていて、
ファサードに余計な装飾が施されたのが残念なところ・・・
ズーエフ・労働者クラブ K.メーリニコフ 1927-29年
ルサコーフの労働クラブ同様に、検閲抜きで設計・建築された労働クラブ
ソヴィエト建築の黄金期ともいわれる構成主義の最高傑作と評されることもある作品だね
建物の角に丸みを持たせている構成主義建築は多いんだけど、
ゴーロソフは円柱をこよなく愛し、
丸みではなく、円柱を構成の主役に据えるよう配した
実際は半円柱なんだけど、あたかも円柱のように見せ、
あたかも円柱が発射しそうになるのを、
直方体が抑えようとしているデザインを作ったんだよね。
ちょっと残念なのは、現在ピンク色に塗られてしまったことかな
もともとは白だよ
誰だよぉ
歴史的建築を勝手にイメチェンするのは・・・
モスセリプロム(モスクワ農業産業庁) D.コーガン 1923-24年
アルバートの交差点でも
効果的な色遣いと躯体の構成で、周囲の建物からひときわ目立つ存在
白い縦のラインと、バルコニーを中心とした赤と青の横のラインのコントラストが明解だね
建設当時はロシア全域の食料・農作物の流通の中心だったんだけど、
今はかなり朽ちてきていて、ちょっと危なっかしい
メーリニコフ邸 K.メーリニコフ 1927-29年
ロシア構成主義の建築家の巨匠メーリニコフが自邸として設計した家
彼はパリ万博でソヴィエト館を手掛け、一躍超人気建築家に
注文が殺到し、蓄財したことで、
かねてからの夢だった自邸の設計に取り掛かる
メーリニコフは他の作品では実現できなかった多くの実験をこの自邸で試みて
他にない構成建築の代表作を作りたいと思った
まぁ設計者=発注者だし、アバンギャルドな時代だしね
さすがに過去にメーリニコフの建築に携わった施工業者すら、
この奇抜な建築の施工には及び腰だったとか
まぁそれほど高品質が必要だったんだね
ズーエフ・労働者クラブ以上に円柱を効率よく使ったデザインを目指し、
円柱の断面を最も面積効率よく使える設計にした
側面の窓は六角形なんだけど、教会が見えるまどだけ八角形にした
妙なこだわりなんかもあるよ
でもここまでいくとさすがに建築家の自邸だからできたレベルだね
関連リンク
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