ロシアとインドに住んでみた

モスクワの僻地駐妻(へきちちゅうづま)生活記

黄金の環(3) ロマノフ王朝発祥の地・コストロ

 

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今回は黄金の環の街の中から、コストロマを紹介します。

黄金の環にある街の中でも、モスクワから最も遠くて
なかなか行く機会がなかったコストロマに行ってきた

なんせ列車で行くと夜行列車で6時間
最寄りの大都市ヤロスラヴリからでも2時間半

もうサプサンならとっくにサンクトに着いちゃうよってくらい遠い・・・

今回は友達の車に乗せてもらっていったけど当然泊まりの距離なんで、
ストロマ宿泊で周辺の街も回ってきた

でとうとうやってきましたコストロマ

街の歴史

まず予習してきた歴史でいうと
モンゴルの支配から独立し、その後
14世紀中旬からモスクワ大公国支配下

この頃はモスクワ大公国はカザンと戦争しており、
ストロマはその境界に位置する
モスクワ大公国の最前線を守る要塞都市だったらしい

17世紀には工芸が発展し、
モスクワ、ヤロスラヴリ、カザンに次ぐロシア第4の都市に

でも1654年に大火災発生!
その2年度にはペスト!
人口の3分の1がなくなったという悲劇の時代

さらに1703年に首都がサンクトに遷都され、
モスクワの衛星都市だったコストロマは衰退・・・

1773年にはまたもや大火災
市内のすべての木造建築が焼き尽くされた

何かと災難に見舞われた都市なんだね

イパチエスフキー修道院

ストロマに訪問する人の最大の目的はこの修道院だよね

1613年にこの修道院に幽閉されていたロマノフ一族の中から、
当時16歳のミハエル・ロマノフがロシア皇帝に推戴され
ロマノフ朝が始まった

なので、ロマノフ朝の発祥の地として、
ロマノフ家がこの修道院の再建を支援し、
歴代皇帝が必ず訪問したとされる由緒正しき修道院

トロイツキー聖堂

メインはトロイツキー聖堂だけど、
ここも1649年に地下の火薬が引火し大爆発
ロマノフ家のサポートで1653年に再建した代物

もういい加減、火の始末は覚えたほうがいいよね・・・

街の中心

修道院を見終わったら街の中心に行こう

街のへそはスサーニン広場

広場から船着き場まではちょうど気持ちのいい散歩道になっているんで、
街歩きを楽しみたい人はこのあたりだね

広場から少し下った歩いた両脇は
18世紀末に作られた商業アーケード

当時はロシア最大級でナウい街だったらしい

今は面影が残った田舎の中都市って感じだね

おススメ・レストラン

ストロマに行ったら必ず寄ってほしいのがこのレストラン
スタラナ・プリスタニ!

正直いうと、このレストランが予約できなければ、
ストロマに来なくてもいいかな
と思うくらい素晴らしいレストランだよ

混むので旅程が決まったら予約した方がいいね

場所はスサーニン広場から下った船着き場

たぶん、街一番の高級店かと思われるクラッシックなレストラン
でも価格は地方価格なので、モスクワの半分以下

週末の夜は特に、生歌での演奏が入る
雰囲気はいいし、踊りだす紳士淑女もいるのは”ロシアあるある”かな

料理はロシア料理なんだけど、
最初のおススメは魚のスープ・ウハー

ウハー

いつも食べているウハーはあまり魚の出汁がとれていなくて
さっぱりなんだけど、ここのウハーはかなりしっかり出汁をとってる

テーブルに運んでくれたあとに、
熱した炭を投入し、
炭の香りで生臭さを消すパフォーマンスまである

なので全く生臭くなくて、しっかり味わえる

あとは、川魚のなます

ナマズの炭火焼

これは炭火焼にしてくれるんだけど、
ソースかけずに魚の味を楽しみながら味わえるね

地酒の利き酒セットなんかも楽しんで、
ワインをがぶがぶ飲んでも一人3,500Rub(約5,200円)くらいだった

  • 店名:スタラヤ・プリスタニ Старая Пристань
  • 住所:ул. 1 Мая, 5, Кострома, Костромская обл., 156000
  • 住所(英):Ulitsa 1 Maya, 5, Kostroma, Kostroma Oblast, ロシア 156000
  • 電話:+74942770573

※情報やレートは公開時のものです。

 

関連リンク

他の黄金の環の都市はこちら

【目次】ロシアに住んでみた に戻る