ロシアとインドに住んでみた

モスクワの僻地駐妻(へきちちゅうづま)生活記

モスクワでのショッピング(1) おしゃれマスク ラディカル・チック

 

プリヴェート! (こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
今回はモスクワでバズってるラディカル・チックについて紹介します。

 

もともとはスカーフ専門店でオリジナル・デザインのスカーフ
所せましと並んでるお店
(インド駐在の時によく目にしたThe 原色!ではなく、見よこの上品カラー!)

スカーフ好きにはたまらん

さらにスカーフを使った洋服バッグポーチもあって、
これがなかなかセンスがよいのであります。

もとがスカーフ生地なんで、洋服の全部が柄だと派手すぎて着づらいけど、
部分的に使ったパーカーなんかは素敵だと思う!

バックは少々、派手でもワンポイントになっていいかも。
今はサブバッグもオシャレになってるしね。

特に大ヒットなのはスカーフ柄で作られたマスク
(これはマスク素材なので使用感もgood!!)

あまりにも可愛くていくつも欲しくなっちゃいます。

1個500Rub(約800円)くらいからあるんでお手頃価格だし、
毎日、服と気分に合わせて付け替えられるし。

買うと、個包装してくれるから、日本へのお土産にも使える~

お店の場所は、”モスクワの広尾”と言われるパトリアルシエ・プルドイの近くなので、
散歩とお茶ついでに覗いてもいいね!

店情報

  • 店名:Radical Chic
  • 住所:Большой Козихинский пер., 19/6, Москва, 123001
  • 住所(英):Bol’shoy Kozikhinskiy Pereulok, 19/6, Moscow, 123001
  • 電話:+74959746400

※情報やレートは公開時のものです。

関連リンク

 

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【初級者向け】ロマノフ朝について学ぼう!(3)  壮絶な姉弟喧嘩!

 

プリヴェート! (こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
今回はロシアで300年続いた王朝、ロマノフ朝における有名姉弟姉弟げんかついて紹介します。

それにしてもロマノフ朝ってホント一族で仲悪くて不幸な皇帝が多いよねぇ

 

歴代皇帝(ツァーリ)

歴代ツァーリ(皇帝)の一覧はこんな感じ

今回はフォードル・イワンの兄弟を操った皇女ソフィア vs ピョートル大帝の兄弟げんかの話だよ

  1. ミハエル:いやいやツァーリに。天寿。
  2. アレクセイ・ミハエロヴィチ:宗教改革。天寿
  3. フョードル2世:病弱。20歳で病死。姉ソフィアの傀儡
  4. イワン5世:知能障害(馬鹿のイワン)。29歳で病死。姉ソフィアの傀儡
  5. ピョートル1世:大帝。ロシアを3流国から2流国へ。川に飛び込んでその後に病死。息子を殺害
  6. エカテリーナ1世:大帝の後妻。娼婦から皇帝へ。在位2年。暴飲暴食で病死
  7. ピョートル2世:大帝とその前妻の孫。12歳で即位。14歳で病死
  8. アンナ女帝:馬鹿のイワンの娘。一応天寿
  9. イワン6世:生後2か月で即位。1年後に逮捕、23歳まで幽閉されて殺害
  10. エリザベータ:大帝とエカテリーナ1世の娘。天寿
  11. ピョートル3世:エリザベータの甥。在位半年で妻が殺害
  12. エカテリーナ2世:旦那を殺害して即位。領土拡大.天寿
  13. パーヴェル1世:ちぐはぐな政治。クーデターで殺害
  14. アレクサンドル1世:対ナポレオンの祖国戦争に勝利。天寿
  15. ニコライ1世:秘密警察の創設。クリミア戦争敗北。天寿
  16. アレクサンドル2世:農奴解放などの改革。市民により暗殺
  17. アレクサンドル3世:改革にブレーキ。アルコール摂取過多で逝去
  18. ニコライ2世:日露戦争敗北。不運続き。一家全員殺害

まぁ皇帝になんてなるもんじゃないね・・・

きっかけ・相関図

まず、きっかけは前帝で第2代ツァーリのアレクセイ・ミハイロビッチに原因がある
まず前妻マリアとの間に3人の子供(他の子は幼少期に死亡)
そして、後妻との間にピョートル
それぞれ子供がいたのに後継者指名をしないで崩御したことがすべての原因だね

やっぱりいつの世の中も相続問題は争いのたね

まして相続すべき皇帝の椅子は一つだし、異母兄弟なんだから争い必至だね

第1ラウンド ソフィアvsピョートル

アレクセイ・ミハイロビッチ崩御した段階で、ピョートルはまだ3歳
この段階ではソフィア側が優勢で、その弟フョードルが14歳で第3代ツァーリに即位

本来はここでソフィアが女帝になれば時代は変わったんだろうけど、
まだロシアの世論は女帝を受け入れる雰囲気にはなっていなかったんだよねぇ

第2ラウンド ソフィアvsピョートル

病弱なフョードルは案の定、在位たった6年で崩御

再度、後継争いが勃発!
この時ピョートルは9歳

ピョートルの母ナターリアのナルイシキン家の後押しもあり、
一旦まだ9歳ピョートルがツァーリに即位するものの、
その数週間後にソフィアが反乱を起こす!

ピョートル大帝の少年時代の逸話」 シャルル・フォン・ステュイベン画

これがこの絵「ピョートル大帝の少年時代の逸話」に描かれた暗殺未遂事件
銃兵隊をたきつけてピョートル暗殺の一歩手間までいく

ここでソフィアは弟のイワンをツァーリに即位され、ピョートルは第2順位の共同統治者
自分は摂政に収まる

ソフィアは摂政として辣腕をふる清やポーランドと平和条約を締結するなど、
もし女帝が認められる時代なら大成功していただろうね

第3ラウンド ソフィアvsピョートル

ソフィアの治世が7年におよび、クリミア戦争の失敗などやや彼女の人気にも陰りが見えてきた

そのころピョートルは17歳、身の丈2メートルを超すたくましい青年に成長していた

「ピョートル1世」 ゴドフリー・ネラ―画

再びソフィアは彼の存在に危機感を募らせ、再度暗殺を謀る

だが、結果は惨敗・・・

ソフィアはクリミア戦争の失敗で軍の支持を失っており、若いピョートルが支持を集め返り討ちにされてしまう

ピョートルはこの恐ろしい異母姉をノヴォデヴィチ女子修道院に幽閉する

無害な異母兄イワンの名ばかりの共同統治者に格下げ

イワンはそのまま余生を過ごし、のちに29歳でひっそりなくなるんだよ

 

第4ラウンド ソフィアvsピョートル

でも諦めが悪いソフィア
9年後にピョートルが西欧視察に出かけた留守のスキを突きクーデターを起こす

だが、この反乱はあっけなく鎮圧

ピョートルは1000人近くを逮捕し、自ら拷問を実施

でも黒幕がソフィアだという証拠は出てこなかった

怒りが収まらないピョートルは、ソフィアを幽閉した修道院の窓に、
反乱の首謀者の首をつるす

これを鬼の形相で睨みつけるソフィア

「皇女ソフィア」 イリヤ・レーピン画

さしものの烈女もさすがに完敗
皇女の位をはく奪され、剃髪のうえ、修道院の更に奥に監禁され6年後に病死

これにて、熾烈な姉弟げんかは無事終戦となった

 

その後、政敵もいなくなったピョートルは大活躍
スウェーデンとの戦争に勝利したり、ロシアを3流国から2流国に押し上げたよね

 

でも、なぜピョートルはソフィアを殺さなかったのかは大きな謎
彼は拷問も厭わない残虐性も持っていて、実の息子も殺している

3度も自分の命を狙ったソフィアを最後まで殺さなかったのはホント不思議だね

おススメの書籍

「名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 (光文社新書)」

私がロシアにきて、ロマノフ朝に興味をもって最初に読んだ本

わかりやすくて初心者向けだよ

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関連サイト

ロマノフについて学ぼう!(1)  不幸な皇帝ランキング!

ロマノフについて学ぼう!(2)  強烈な女帝ランキング!


 

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【初級者向け】ロマノフ朝について学ぼう!(2)  強烈な女帝ランキング!


ロシア日記

プリヴェート! (こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
今回はロシアで300年続いた王朝、ロマノフ朝について紹介します。

ロマノフ家の特徴としては、女帝が強い

300年の歴史の中で特に中盤18世紀は完全に女帝の世紀
存在感がある女帝が4人が統治し、その間の男性皇帝は病弱だったり即位してすぐに暗殺されたりと全く存在感がなかった・・・

今回はロマノフ朝を彩った個性派女帝を勝手にランキングします。

歴代女帝 クセ強すぎ

歴代ツァーリ(皇帝)の系譜はざっとこんな感じ

青字は女帝だし、緑字のフョードル2世とイワン5世の時代も実権は摂政をしていた姉ソフィア
しかも全員それなりに治世を成功させているんだよねぇ。男にはだらしないのが多いけど・・・

  1. ミハエル:いやいやツァーリに。天寿。
  2. アレクセイ・ミハイロヴィチ:宗教改革。天寿
  3. フョードル2世:病弱。姉ソフィアの傀儡。20歳で病死
  4. イワン5世:知能障害(馬鹿のイワン)。姉ソフィアの傀儡。29歳で病死
  5. ピョートル1世:大帝。ロシアを3流国から2流国へ。川に飛び込んでその後に病死。息子を殺害
  6. エカテリーナ1世:大帝の後妻。娼婦から皇帝へ。在位2年。暴飲暴食で病死
  7. ピョートル2世:大帝とその前妻の孫。12歳で即位。14歳で病死
  8. アンナ女帝:馬鹿のイワンの娘。一応天寿
  9. イワン6世:生後2か月で即位。1年後に逮捕、23歳まで幽閉され殺害
  10. エリザヴェータ:大帝とエカテリーナ1世の娘。天寿
  11. ピョートル3世:エリザベータの甥。在位半年で妻が殺害
  12. エカテリーナ2世:旦那を殺害して即位。領土拡大.天寿
  13. パーヴェル1世:ちぐはぐな政治。クーデターで殺害
  14. アレクサンドル1世:対ナポレオンの祖国戦争に勝利。天寿
  15. ニコライ1世:秘密警察の創設。クリミア戦争敗北。天寿
  16. アレクサンドル2世:農奴解放などの改革。市民により暗殺
  17. アレクサンドル3世:改革にブレーキ。アルコール摂取過多で逝去
  18. ニコライ2世:日露戦争敗北。不運続き。一家全員殺害

強烈な女帝ランキング

ロマノフ朝の中盤の発展を支えた女帝の中で、強烈な女帝を勝手にランキングしたよー

第1位 エカテリーナ2世 努力家賢帝

まず出自としては生粋のドイツ人、ロマノフ家の血は一滴も入っていない完全な外様
しかも外見にも恵まれず、政略結婚した皇太子でのちの皇帝ピョートル3世から愛されず

それでもめげずに、ロシア語を学び、ロシアの伝統を理解し、自らをロシア化して軍や宮廷内に味方を増やす

皇帝に即位した旦那ピョートル3世が自分を排除しようと動きを察知し、逆にクーデターを起こし旦那を逮捕。
そしてその日のうちに殺害して、自らが女帝になった。

彼女の治世は34年にわたり、栄光に満ちていた

外交に関しては天敵トルコに勝利し領土を拡大、さらに隣国ポーランドプロイセンオーストリアと組んで分割して分捕る

芸術面では、現エルミタージュ美術館の収蔵品の大部分はエカテリーナ2世の時代にまとめ買いしたものだよね

ピョートル大帝はロシアを3流国から2流国に押し上げたけど、
エカテリーナ2世は2流国から1.5流国くらいまで地位向上させたね
のちにアレクサンドル1世がナポレオンを破って、1流国の仲間入りをする基礎を作ったよね

一方、私生活は奔放で、愛人300人とも言われて、しまいには自分の孫に「玉座に座った娼婦」と言われる始末。
300人は大げさだけど、一応確認されているだけでも愛人は21人
一晩をともにした数なら100人超
その中でも軍人ポチョムキンとはかなりの真剣恋愛で1000通を超えるラブレターが残っているんだよね。
意外に可愛いとこもあるね

で肝心の世継ぎなんだけど、もともとピョートル3世との夫婦仲は冷え切っていて、子供ができる雰囲気もない
ピョートル3世は堂々と愛人を作る始末
結婚9年目にやっと男児が生まれるが、当時エカテリーナ2世にもセルゲイ・サルトゥコフ伯爵という愛人がいたので、愛人との間の子供と宮廷中の噂になった

でも、時の女帝エリザヴェータは、実の父が誰であるかを気に留めるでもなく、とりあえずピョートル3世とエカテリーナ2世との間に男児が生まれたということを大喜び!
エリザヴェータがピョートル3世の息子と認めたということで、大事にならず、生まれた赤子は皇太子となり、のちにパーヴェル1世として即位するんだよね

でも、もしパーヴェル1世の父がエカテリーナ2世の愛人だったとすると、
父・母ともにロマノフ家の血をひかない子供になるので、この時点以降はロマノフ家の血が入っていない皇帝になるね

真実は誰も知らないけど・・・

第2位 エリザヴェータ 絶世の美女帝

絶世の美女で未婚のままロシア皇帝になった女帝
1日3回ドレスを着替え、自分より美女は大嫌いという美のカリスマ

まず出自はピョートル大帝とその後妻エカテリーナ1世の間に生まれた次女
でも姉アンナとエリザヴェータは、母エカテリーナ1世がピョートル大帝の愛人時代の子供なので庶子扱い

ピョートル大帝は後継を決めずに崩御し、次は母のエカテリーナ1世が即位するも2年で崩御
その後は後継者争いの渦に巻き込まれる

当初まだ18歳で、後ろ盾の母もいなくなったエリザヴェータはすぐに行動を起こさず、じっと耐え、自分の番が来るのを待った
これが彼女のエライところ

アンナ女帝には服従の意を示しつつ、軍や宮廷で味方を増やし、アンナ女帝が崩御し、赤子のイワン6世が即位するや否やクーデターを起こしみごと戴冠!

後にエカチェリーナ2世はエリザヴェータの事を”着飾ることにしか興味がない女帝”と酷評を残しているけど、
意外にも敏腕な政治手腕を発揮していて、その治世は20年にもおよび内政も外交も安定
銀行やロシア大学を開設したり地方行政を立て直したり国内を安定させ、
その一方、フランス・オーストリアと同盟し、一時ベルリンを占領するほどにプロイセンを追い詰めた

でもやっぱり彼女の最大の功績はエカテリーナ2世を発掘したことかな
小柄で美人とは言えないパッとしない彼女を見つけて、皇太子妃にした
後にヨーロッパでも指折りの賢帝といえる少女を見つけてきたのが結果論だけどあっぱれだね

第3位 エカテリーナ1世 宝くじ当たった幸運帝

女中から娼婦になり、皇帝妃からロシア初の女帝になったラッキーガール

まず出自はバルト海沿岸の小さな町の貧しい小作農の娘
両親がペストで亡くなったので、ドイツ人牧師の女中に
その後スウェーデンの兵士と結婚するも彼はすぐに戦死
仕方がないので、ロシア軍に従軍しておそらく娼婦をしていたらしいとの噂
魅力的な彼女は、ピョートルの右腕ともいえるメンシコフに見初められ彼の愛人に
さらにメンシコフの家を訪ねたピョートル大帝の目に留まり、ピョートル大帝の愛人になった

ここまででもスゴイのに、更にピョートルは大貴族出身の正妃を修道院に幽閉し一方的に離婚
このエカテリーナ1世と再婚してしまう

そして極めつけはピョートル大帝崩御ののち、後継者となるべく長男はすでにピョートル大帝に殺されており、孫はまだ9歳だったこともあり、ピョートル大帝の妻である彼女がロシア初の女帝に即位した

もちろん、これは宮廷内おパワーゲームもあって、彼女の元愛人のメンシコフが自分の言いなりにできるであろう彼女の即位を画策した

即位したエカテリーナ1世は、愛人を作り放題、暴飲暴食し放題の好き勝手な女帝ライフを楽しんで2年であっさり崩御

それでも全くの愚帝ってこともなく、メンシコフのサポートも受けながらも、夫ピョートル大帝がやり残したいくつかの政策を実行に移した
更に、長女アンナをドイツの名家ホルシュタイン・ゴットルプ公と政略結婚させ、ピョートル大帝が望んだ西欧とのパイプ作りに成功する

自ら政治に熱心ではないものの、最低限の女帝としての務めは十分果たし、その一方で好きの事を好きなだけできたんで幸せな女帝だね

第4位 アンナ 遊び惚け女帝

少年皇帝のピョートル2世があっさり天然痘崩御したあとに白羽の矢があたったのがこのアンナ

まず出自は姉ソフィアの傀儡だった知能障害の皇帝、「馬鹿のイワン」ことイワン5世の娘
ソフィア一派が没落後に、バルト海沿岸の辺境の貴族に嫁いだものの、旦那は死去
既に37歳でブクブクに太り、辺境で貧しい生活を送り、ロシアとの縁もほぼ切れ、完全に帝位争いからは忘れ去られた存在だった。

なぜそんなアンナに白羽の矢が当たったかといえば、
この貧しくて、子供もいなくて、何の後ろ盾もないアンナであれば傀儡として操れると思った貴族たちがお飾りとして指名したんだよねぇ

ところがこのアンナは”馬鹿のイワン”の娘ながら馬鹿ではなかった
即位するや否や自分を操り人形として指名した貴族たちを次々とシベリア送りや修道院幽閉送りにし、邪魔者を一掃

自分が信用できるドイツ人を重用し、政治を進める

彼女の治世にイギリスとの通商条約や締結されたり、鉄鋼生産が倍増したりとそれなりに成果のあったんだよね

でもアンナ自身は政治に興味がなく、これは重用した優秀なドイツ人たちの行政手腕によるもの
まぁ優秀な部下に一任するスタイルは、部下を見る目があれば問題ないよね

アンナは飲む買う打つの遊びまくり生活
この辺りは貧乏生活から女帝になったエカテリーナ1世とかぶるね

晩年はベッドから起き上がるのも面倒ということで、横になったまま道化師を部屋に呼んで芝居をさせる毎日

飲み食いし放題、ベッドから動かないという不健康な暮らしで当然病弱になり最期は腫瘍でなくなるんだけど、意外にもエカテリーナ1世のように2年でポックリってことはなくて、10年間も帝位にいた

まぁエカテリーナ1世同様、ラッキーパンチで皇帝になって、政治は任せて遊び惚けるっていう幸せな人生だよね

番外 ソフィア 強烈なお姉ちゃん摂政 

皇帝には即位していないんで番外だけど、間違いなく政治手腕抜群の強烈姉ちゃん

まず出自は前帝アレクセイ・ミハイロヴィチの前妻の娘として生まれる
同じく前妻との子供としては、のちに皇帝となる病弱フョードルと馬鹿のイワンがいて2人にとっては怖いお姉ちゃんって感じ
一方、前帝の後妻の息子としてはピョートル大帝がいる

前帝が崩御した時に、前妻サイドVS後妻サイドに分かれて後継者争いが勃発

当初は前妻サイドが勝利するも当時はまだ女性のソフィアが帝位につくのは世間が許さず
病弱な弟フョードルが皇帝になり、ソフィアは摂政として実権を握る

フョードルが亡くなった後も、馬鹿のイワンの摂政として実権を握る

彼女の治世は合計7年
ポーランドや清と平和条約を締結するなど、手腕を発揮したことでソフィアは周りからも評価され実権を維持

最後は、18歳になりメキメキと力を付けたピョートル大帝との腹違い兄弟間の争いに敗れ幽閉されるもの、のちに”皇帝って女性でもいんじゃね”的な空気を作ったのは間違いなくソフィアの功績だよね

 

おススメの書籍

「名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 (光文社新書)」

私がロシアにきて、ロマノフ家に興味をもって最初に読んだ本

わかりやすくて初心者向けだよ

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関連サイト

ロマノフについて学ぼう!(1) 不幸な皇帝女帝ランキング! 

ロマノフについて学ぼう!(3) 壮絶な姉弟喧嘩!

 

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【初級者向け】ロマノフ朝について学ぼう!(1)  不幸な皇帝ランキング!

 

プリヴェート! (こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
今回はロシアで300年続いた王朝、ロマノフ朝について紹介します。

ロマノフ家の特徴としては、家族仲がホントに悪い
親が子を、妻が旦那を、弟が姉を幽閉したり殺したりが日常茶飯事

結果として、天寿まで帝位を全うせずに悲惨な結末を迎えた皇帝がたくさんいます。
今回はそんな不幸な皇帝を勝手にランキングします。

歴代皇帝 殺されすぎ

歴代ツァーリ(皇帝)の死因を見てみるとざっとこんな感じ

徳川家の15将軍で殺害された将軍っていないよね。
最後の慶喜ですら天寿全うしているし。

その割にロマノフ家は暗殺だらけ、家族の中で帝位争いで敗れたり、クーデター起こされたり、しまいにニコライ2世に至っては家族全員でそろって銃殺されたり・・・

  1. ミハエル:いやいやツァーリ。天寿。
  2. アレクセイ・ミハエロヴィチ:宗教改革。天寿
  3. フョードル2世:病弱。20歳で病死。姉ソフィアの傀儡
  4. イワン5世:知能障害(馬鹿のイワン)。29歳で病死。姉ソフィアの傀儡
  5. ピョートル1世:大帝。ロシアを3流国から2流国へ。川に飛び込んでその後に病死。息子を殺害
  6. エカテリーナ1世:大帝の後妻。娼婦から皇帝へ。在位2年。暴飲暴食で病死
  7. ピョートル2世:大帝とその前妻の孫。12歳で即位。14歳で病死
  8. アンナ女帝:馬鹿のイワンの娘。一応天寿
  9. イワン6世:生後2か月で即位。1年後に逮捕、23歳まで幽閉され殺害
  10. エリザベータ:大帝とエカテリーナ1世の娘。天寿
  11. ピョートル3世:エリザベータの甥。在位半年で妻が殺害
  12. エカテリーナ2世:旦那を殺害して即位。領土拡大.天寿
  13. パーヴェル1世:ちぐはぐな政治。クーデターで殺害
  14. アレクサンドル1世:対ナポレオンの祖国戦争に勝利。天寿
  15. ニコライ1世:秘密警察の創設。クリミア戦争敗北。天寿
  16. アレクサンドル2世:農奴解放などの改革。市民により暗殺
  17. アレクサンドル3世:改革にブレーキ。アルコール摂取過多で逝去
  18. ニコライ2世:日露戦争敗北。不運続き。一家全員殺害

まぁ皇帝になんてなるもんじゃないね・・・

不幸な皇帝ランキング

家族仲悪く不幸なロマノフ朝の皇帝の中で、King of 不幸を勝手にランキングしたよー

第1位 イワン6世 ザ・不幸帝

栄えある(?) 第1位はイワン6世!

まず、大叔母のアンナはロマノフ朝史上、二人目の女帝で、アンナ女帝には子供がなく、
後継者に困っていたところ、アンナの妹の娘が男の子を生んだんだけど、それがイワン!

イワンにしてみれば、親が皇帝でもないし、祖父母が皇帝でもない
おばあちゃんのお姉ちゃんが皇帝ってだけで皇帝候補にされたんでたまったもんじゃないよね

アンナ女帝には当時、エリザヴェータというライバルがいて、美しく賢くて、宮廷でも人気者。
一方アンナ女帝はロシア貴族を排除していたので宮廷で不人気・・・

アンナ女帝も、自分の死後が心配で、エリザヴェータを呼んで、イワンへの忠誠を誓わせる・・・

その一方で、アンナ女帝は、飲む・買う・打つ?の放蕩三昧で、飲みすぎで体調を崩してあっけなく崩御

彼女の筋書き通り、イワン6世が生後2か月で即位

でも哺乳瓶しゃぶっている皇帝で、しかも後ろ盾となるアンナ女帝はすでに崩御していれば完全無力!

在位1年で、エリザヴェータが満を持してクーデターを起こし、イワン6世はあっさり退位というか、幽閉される。

おぎゃーおぎゃー言って、哺乳瓶飲んでたら豪華で硬い玉座に無理やり座らされて、いつの間にか牢獄にいたってパターンだね。

で、その後23年間幽閉された。。。
幽閉中はやることがなく、もちろん教育もなければ友達もいない
両親とも会えない日々、
その結果、成人したときには完全に狂人になっていたとか

でもって、勝手に旧アンナ派が奪還しようと幽閉場所に突撃したときに、看守によって刺殺された・・・

看守には、万が一にもイワン6世を救出する動きがあった場合には、躊躇なく亡き者にする指示がでていて、即刻殺害

イワン6世にしてみれば、もう勝手に救出しに来ないでよって感じだよね・・・
知らないおじさん達が盛り上がってやって来て、とばっちりで殺されて・・・

とにかく2か月後から23歳までずっと不幸、そして死に方も不幸
少なくてもイワン自身は何も悪くないし、皇帝になったことで何のいい思いもしていない
究極の不幸皇帝No.1

第2位 ニコライ2世 不運皇帝

最後の皇帝として有名なニコライ2世
最期は愛する妻と4人の娘、やっとできた息子と一緒に銃殺されるんで、結末は最悪

でもこの最悪な結末を招いた原因の一部はニコライ2世にもあるんだよねぇ

イワン6世とそれぞれの罪と罰の重さを比較するとこんなイメージ
イワン6世は、罪0:罰100
ニコライ2世は、罪70:罰100

ということで、不幸度では残念ながら(?)、イワン6世には遠く及ばず大差の2位かな

彼の治世は不運もあったけど、その一方で彼自身の優柔さや情勢認識の甘さが招いた判断ミスも多々あった。

失敗は思いつくだけどもざっとこんな感じ

  • 血友病家系のアレクサンドルを娶る
  • 即位祝賀行事で、民衆が将棋倒し&その日にしれっと舞踏会参加
  • 日露戦争敗北
  • 民衆の平和的デモに発砲し多数死亡
  • 怪僧ラスプーチンの政治介入を許す
  • 第1次世界大戦で何故か前線指揮に行き政治が留守

ということで、そもそも皇帝として失格!!!

最期は裁判で裁かれることすらなく、地下室で銃殺ってのはかわいそうだけど、
ロシア人に聞いても「ニコライ2世はダメだよねぇ」的な意見が多いね

第3位 ピョートル3世 ドイツかぶれ皇帝

即位半年で、妻エカテリーナ2世とその取り巻きによるクーデターで捕まり、殺害される。

でも、全くロシアに馴染もうとしなかったピョートルも悪いんで
ピョートル3世は、罪60:罰80
って感じかな

完全な不人気皇帝だね

もともと、父ちゃんはドイツ貴族で、母ちゃんが女帝エリザヴェータの姉
ドイツに住んでいたんだけど、
女帝エリザヴェータが一生独身だったということで
次期皇帝候補としてロシアに迎えられた

でも当時ドイツは1流国、ロシアは2流国
ピョートル3世は完全にロシアを馬鹿にして、ロシア語も覚えない

一方、妻のエカテリーナは両親ともドイツ人の生粋ドイツ人だけど、
ロシア宮廷に馴染もうと、ロシア語はもちろんロシアの宗教や習慣を学ぶ

更に、前帝エリザヴェータがフランス・オーストリアと同盟し、対プロイセン(ドイツ)と戦争し、勝利目前だったんだけど、
ドイツ育ちで、ドイツ好きのピョートルは勝手にドイツを和睦し、しかも賠償金も求めず、占領した土地もドイツに返還してしまった・・・

これにロシア軍部は激おこ!
そりゃそうだよね、自国の兵士が生死をかけて戦争して勝利目前に勝手に和睦されたら誰でも怒るよおね

ということであっけなく近衛兵にクーデターを起こされて、その近衛兵により殺害される

エカテリーナ2世が旦那の殺害を指示したか、あるいは知っていて暗黙の了解をしたかは、不明だけど、
まぁ知らなかったはずはないから、エカチェリーナは旦那殺しの共犯だよね。

第4位 アレクサンドル2世 暗殺されまくり皇帝

ある意味、ロシアの後進性にちゃんと向き合って改革した皇帝だけど、
なぜか誤解され、何度も市民から暗殺されそうになる・・・でもって最期はやっぱり暗殺

アレクサンドル2世は、罪10:罰60
って感じかな

解放皇帝と呼ばれるほど、ロシアの歴史上の課題でもあった農奴を開放する改革に着手した。
でも残念ながら農奴の期待が大きすぎて応えられず・・・

晩年はさすがに、改革への意欲も減退しちゃったんだよねぇ・・・

もう少し前の時代にこのようなアレクサンドル2世のような皇帝が生まれたら、ロシアも一気に工業化なんかが進んだりして、賢帝として歴史に名を刻んだかもね

そして彼は暗殺されまくった皇帝でもあるんだよね
最初は銃殺、その後列車爆発や宮殿爆発、最後は車の爆発で大けがを負って死亡

暗殺未遂は10回以上、そもそも一般市民のテロリストから暗殺されかけた最初の皇帝で、かつ実際に暗殺された唯一の皇帝

そこまで恨みを買うほどひどい皇帝ではないのに・・・

第5位 パーヴェル1世 遅れてきた反抗期皇帝

偉大な女帝、エカチェリーナ2世の実子で、障害もない成人男子の皇帝

でも、生まれたときから女帝エリザヴェータに育てられたことで、
母エカチェリーナ2世とは親近感なく、
しかもその母が、父ピョートル3世をクーデターで殺害したことで、母に反発

でも、エカチェリーナ2世が崩御したあとに、順当に次の皇帝になるんだけど、
母エカチェリーナ2世への反発で、前政権を否定するような政策を乱発

既得権益を死守したい貴族に反発され、しかも母エカチェリーナ2世は崩御して後ろ盾もなく、あっさりクーデターでされた

自業自得だけどあっさりすぎだね

第5位 ピョートル3世 あっさり病死皇帝

ピョートル大帝の長男アレクセイの子供で、ある意味血筋は正当
といってもアレクセイは父・ピョートル大帝に反抗して幽閉・獄中死した、失格皇太子なんでちょっと微妙だけどね

当時は、ピョートル大帝が後継指名しなかったことで、貴族間の権力争いが激しく、幼いピョートル2世は、翻弄された感じかな

紆余曲折の末ある有力貴族の姪と結婚が決まるものの、結婚式の前日に天然痘であっさりご臨終・・・

特に悲劇があったわけではないけど、結婚式前日ってことで可哀想なんでランクイン

第6位・7位 フョードル2世・イワン5世 病弱&馬鹿

いずれも短命で病弱な皇帝。
フォードルは生まれつき病弱イワンは知能障害ではっきり言えば馬鹿
どっちも父帝のアレクセイ・ミハイロビッチからは後継者候補から外された状態だったんだよね。

でも父帝が後継者指名せずに崩御して、権力争いの渦中に。

結局、フォードル・イワンの2人とも皇帝になるものの、到底政治ができる状態ではなく、強烈な姉ソフィアが実権を握り、ただの傀儡皇帝に。

そして、それぞれ病気で早々お亡くなりに・・・

ちゃんと別の男子(例えばピョートル大帝)が後継者指名されていれば、二人は皇帝にもならず、ゆっくり静養しながら人生を終えられて幸せだったんだろうなぁ

第8位 ミハエル いやいや皇帝

ロマノフ朝の創設者!

日本だと、徳川家康や、足利尊氏とか長期政権の創設者は大きな戦に勝って華々しく新しい王朝を築いたんだけど、ロマノフ朝の始まりはかなりシュール

当時はロシアはかなり不安定な動乱の時代で、誰かがツァーリに即位してもすぐに殺され、
しかも外敵としてはボーランドが攻めてくる恐怖が蔓延していて、
誰もツァーリになりたがらない状態だった

ミハエル・ロマノフは、実家が過去の権力闘争で敗れ修道院に隠棲状態だった

当時14歳のミハエルは、皇帝に推挙されても、ホントに嫌で、固辞し続けた。
なんかダチョウ倶楽部みたいに、「どーぞどーぞ」連発みたいだね。

最後は仕方なく応諾して初代皇帝になったんだけど、
幸いその治世は、懸念されたポーランドによる侵攻もなく、なんとか無事やり過ごせただけでなく、シベリヤにも領土を拡大し、
以降、ロマノフ朝が300年継続する基礎を作った

なんとも不思議なスタートだね

おススメの書籍

「名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 (光文社新書)」

私がロシアにきて、ロマノフ家に興味をもって最初に読んだ本

わかりやすくて初心者向けだよ

Amazon.co.jp: 名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 (光文社新書) eBook : 中野 京子: 本
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関連サイト

ロマノフについて学ぼう!(2)  強烈な女帝ランキング!

ロマノフについて学ぼう!(3)  壮絶な姉弟喧嘩!

 

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独ソ戦について

 

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
ロシアの本質を知るために読んでおいた方がよい独ソ戦に関する良書を紹介します。

独ソ戦

旦那がモスクワ駐在が決まった直後、最初に買った本は地球の歩き方
そして2冊目に買ってすぐに読破したのがこの「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

旦那がいうには、その国を楽しむならその国の文化・歴史・言語を知るとより楽しめるってことらしい・・・

まぁそりゃそうなんだけどね

ロシアやソ連って日本人に全く馴染みがない国で、私も旦那もほぼ無知

文化は実際に駐在してロシア人と接していくなかで理解するのが一番だけど
歴史については自分で学ぶことができるよね

しかも独ソ戦は今を生きているロシア人にとって忘れられない重要な歴史上の出来事

独ソ戦を知らずにロシア人と話すのは、日本に住んで「What is HIROSHIMA? NAGASAKI?
って言っている外人のようなもんだよね

侵略され続けたロシアの歴史

日本人はロシアの事を侵略するのが大好きな暴れんぼう国家って誤解している人も多いよね

でも実は、ロシアは建国以来、東から西からそれぞれの大国に侵略されてきた被害者国家

彼らの周りにはオスマン・トルコ、プロイセン、モンゴル、スウェーデンなど強国がひしめいていて、
長らく2流国家で、しかもいたずらに領土が広かったロシアは国土を防衛するのがホント大変・・・

ロシアがみずから、トルコやドイツ・フランス、日本、中国などの強国の首都に侵攻したことは一度もない

唯一、強国の首都に侵攻したのは独ソ戦の最後に撤退するドイツを追撃したときにベルリンに入城したくらいで、そもそも自ら仕掛けた戦争でもないしね

一方でモスクワを占領されたり、ロシアそのものがこの世からなくなりそうになる危機は3回もあった・・・

タタールのくびき

最初にキエフ大公国が東に拡大して現在のモスクワやウラジーミルを含む地域を支配していた13世紀前半、急遽モンゴル大帝国の侵略を受ける

首都キエフは崩壊。
なんとここから2世紀半にわたってモンゴル人(タタール人)の支配下におかれ屈辱的な時期をすごす

祖国戦争(対ナポレオン戦争

ヨーロッパで猛威を振るったナポレオンは大軍を率いてロシアに侵攻

皇帝アレクサンドル1世はチェコプロイセンで2度ナポレオンと対峙するもいずれも完敗!!!
そしていよいよナポレオンの「ロシア遠征」が始まった

正面衝突で勝てないロシア軍は後退しながら戦い、
その途中ナポレオンに侵略されるはずの村を焼き払い
できるだけナポレオンに食糧を与えないようにしてズルズルとロシア深部に引き込む
ついにナポレオンはモスクワまで占領するが、
ロシアはモスクワの街にも火の手を放ち、
みずからの最大の都市すらも焼き払って放棄してしまう。

モスクワを占領までしても、
ほとんど食料も得られなかったナポレオン軍は食べるものもない厳冬のモスクワで疲弊し、
ついに諦め退却

退却するナポレオン軍に猛反撃をしかけ、
当初60万人で侵攻したナポレオン軍は3万人になってパリに帰還した

ロシアは泣く子も黙るナポレオン軍を打ち破り祖国防衛に成功した

大祖国戦争(対ドイツ戦)

ドイツは1941年に独ソ不可侵条約を破って侵攻し、4年にわたり泥沼の地上戦を行い、
ロシアに2700万人、ドイツに1000万人の死者を出したという史上最悪の戦争

日本では、第二次世界大戦のメインは日米が戦った太平洋戦争と認識している人が多いけど、
日本の死者は300万人、米国が30万人

はっきり言って独ソ戦は桁がひとつ違う。

世界の認識では第二次世界大戦の主戦場はロシアでの独ソ戦で、
太平洋戦争はそのかたわらで行われた小さないくさ

戦争の経過は、ドイツは開戦当初奇襲に成功し、連戦連勝
電撃戦で一気にモスクワ陥落を狙いモスクワまであと十数キロの地点まで差し掛かるも
例年より早い冬が到来して停滞

翌年のスターリングラード攻防戦ではロシアが逆転勝利し、
包囲されたドイツ軍が投降

この攻防戦のロシア勝利が転換点となりロシアが徐々にドイツ軍を駆逐し、
最後にはベルリンを陥落した

勝者はロシアなんだけど、戦争の大部分はロシア領土内で行われたんで、
多くのロシア市民も犠牲になった
特にレニングラード(現サンクトペテルブルク)は3年近く包囲され兵糧攻めにあい
人肉が肉屋で売られる凄惨な状況で生きるしかなく、
それでも300万人いた市民のうち100万人が餓死したとか

独ソ戦は今を生きているロシア人が忘れられない歴史

日本人が第二次世界大戦や広島・長崎を忘れられないのと同様に彼らにとっては重要な出来事

モスクワのクレムリンにある無名戦士の墓

モスクワのクレムリンには大祖国戦争でなくなった英雄や市民を讃える無名戦士の墓があって
毎日献花がたむけられている。
もしロシアに住んでロシア人とホントに仲良くなりたかったら

What 独ソ戦」では失礼でだよね

スターリングラード攻防戦レニングラード包囲戦は覚えておいた方がベターだよ

独ソ戦に興味が湧いた人はぜひ「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書」を読んでみてね

関連サイト

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モスクワ建築探訪(4) セントラルの建築を見に行こう!

 

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今日は赤の広場ボリショイ劇場周辺の建築群を見に行きます。
オールドロシア、クラシシズム、ネオロシア、ロシアモダンの4様式を見れますよ。 

 

 

ポクローフスキー大聖堂(聖ワシーリー寺院) ポーストニク・ヤーコヴレフ、バルマ 1555-61年

赤の広場の南端にあるオールドロシア建築の大聖堂

1552年、時はモンゴル支配”タタールのくびき”の終盤、
ロシアのイヴァン雷帝は、キプチャク・ハン国から独立した、カザン・ハン国への遠征を決意!

神の加護を得るために、勝利の暁には未曾有の美しい大聖堂を建立すると神に誓う
まさに神頼み!

苦戦の末、カザンはロシアの手に落ち、めでたしめでたし

タタールのくびき”の終焉のシンボルとして、また新たな国家体制の象徴として大聖堂を建設

当時、聖堂はクレムリン内に建築するのが通例だったんだけど、
イヴァン雷帝は血縁政治ではなく、民衆のための改革を行おうと、
民衆の領域である赤の広場に建てたんだよね

イヴァン雷帝っておっかないイメージがあるけど、いいとこあるじゃん

建築としての魅力はプロポーションと調和だね
類似の要素を、異なるサイズでいくつも反復させて、絶妙な効果を得る手法
ロシア建築では古くから使われているやり方

建立された大聖堂の美しさに惚れ込んだイヴァン雷帝は、
これ以上の傑作を作ることができないようにと
二人の建築家ポーストニク・ヤーコヴレフとバルマの両眼をくりぬいたという伝説があるけど、
うーん史実に反した都市伝説って説が主流らしい

専制皇帝の箔付けのためにあとから作られた創作と願いたい・・・

グム百貨店 A.パメラーンツェフ 1889-93年

グム百貨店の正面玄関 赤の広場側だよ

ネオロシアの建築様式で設計された商用建築だね

当時の最新技術を使った実用的な彫刻と、17世紀半ばの伝統的なモスクワ建築を融合している

国立歴史博物館 V.シエルヴード 1875-83年

ネオロシア中期の代表だね

オールドロシア様式の建築が実用的と認識して、
形だけでなく造りもオールドロシアに回帰して設計された

城のようなフォルムだね

オールドロシア様式のワシーリー寺院、
ネオロシア様式の国立歴史博物館
どちらもロシアの伝統様式を重んじているけど、建立時期は300年以上離れている

そんな両様式を赤の広場をはさんで対比できるのが興味深いよね

ホテル・メトロポール V.ヴァリコット 1899-1903年

ロシア・モダン建築の集大成だね

イギリス人建築家の V.ヴァリコットが社会主義革命直前に設計

当時モスクワ最大規模のホテルで、モスクワの「新バベルの塔」とも呼ばれたんだよ

それまでのロシア建築にほとんど使われてこなかったステンドグラスが使われたり、
ファサードにモザイク画が入ったり
外観の優美な美しさが協調されている

装飾はあるんだけど、ケバケバしくはなくて、
重厚さや落ち着きを保っていてセンスいいよね。

もちろん中もロビーとかは入れるんでちらっと見学しよう
内部もロシアモダンが活きているよ

エレベーターホール

 

ボリショイ劇場 O.ボヴェ、A.ミハーイロフ 1821-25年 / A.カヴォス 1855-56年改修

ロシア・クラシシズム後期の代表建築

ボリショイ劇場の前身となるペドロフスキー劇場が火事に・・・
アルバート通りに移転したしたんだけど、その劇場も1812年に火事に・・・
そして元の場所に戻って厳格なロシア・クラシシズム様式で1825年に建築された

ところが、この劇場も1853年にまたも火事で甚大な被害

焼け残った壁と正面の柱廊をベースに元の建築様式で再建
内部については、再建時に流行っていた折衷主義を取り入れ、
金塗の階段やビロードの幕など、折衷主義移行期の雰囲気でまとめられた

前の広場も伴って威風堂々たる姿だね

関連リンク

初心者向け ロシア建築の歴史

建築探訪

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モスクワ建築探訪(3) 鉄道広場付近の建築を見に行こう!

 

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今日は鉄道広場周辺の建築群を見に行きます。
ちょっと難しい説明も入るので、建築に興味がない人は写真だけ見てくださいね。

モスクワ中心部のちょい北、3つの長距離鉄道ターミナル駅が集まる鉄道広場周辺は
4つの構成主義、2つのスターリン建築、3つの鉄道駅が
徒歩で見られる歴史的建築物の宝庫だよ

全体の行程はこんな感じ、
メトロのコムソモーリスカヤ駅をスタートして、鉄道駅を見て、
その他の建築も見て回る

全部歩いても、2.7Km40分弱

コムソモーリスカヤ駅 1952年 A.シューセフ他

この地下鉄駅はメトロの中で最も素晴らしいと言われている駅

いきなりスタート地点からテンション上がるね

スターリン・アンピール全盛時の作品で
黄色くペイントされた天井に、歴史上の英雄物語のモザイクが施されているんだよね

ヤロスラーヴリ駅 F.シェーフテリ 1902-04年

ロシアのロマンティシズムを表現した作品だね

かなり突っ込んだモザイク装飾しているんだけど、
これ以上やるとバランスが崩れるギリギリで留めている

もうこれ以上やったら建築物としての構成がメインなのか?
外壁を飾るモザイクがメインなのかわからなくなるギリギリ

シェーフテリとしては、このヤロスラーヴリ駅から旅立つ列車の行先である
北ロシアを表現しようと試みたんだよね

至る所にモザイクがあるよ

レニングラード駅 K.トン 1844-51年

モスクワとサンクト・ペテルブルグを結ぶ最も重要な幹線鉄道の発着駅
目的地の街の名前がサンクトになっても、駅名は旧名のレニングラードのままなんだよね

その割にヤロスラーヴリ駅やカザン駅に比べてシンプルで印象薄いなぁと思ったら、
それもそのはず、最初に作られたターミナル駅だった

最重要路線なので、最初に作って、その後は各ターミナル駅
このレニングラード以上を目指して作ったんで、
当然後発の方が特徴ある作りになった

ちなみにサンクトのモスクワ駅も全く同じ作り

建築様式は後期のロシア・クラッシックで、
完全なシンメトリー、古代ロシア様式の装飾が特徴かな

カザン駅 A.スニガーレス 1913-40年

カザン駅 駅舎上の尖塔は シュユンベキ塔をモチーフにしている

カザン、ニージュニー・ノヴゴロドなど、この列車が向かう方面を
イメージした独特なデザイン

尖塔は、カザンのクレムリンにあるシュユンベキ塔をモチーフにしている

モザイクではないんだけど目を引く装飾がされていたり、
いくつもの特徴を凝縮している

駅ならではの機能重視の合理的な設計のうえに、
異なるデザインの尖塔や装飾を上に乗せて飾った独特のデザインだね

ホテル・レニングラード 1949-52年 L.ボリャコーフ他

17階建ての現役ホテル

3つの長距離列車ターミナル駅が集中する鉄道広場前に鎮座している。

セブンシスターズの中では最も低いものの、
地方から鉄道でモスクワに着いた旧ソ連時代の旅行者は
まず、鉄道駅を出た瞬間にこの建築物の存在に驚いたんだろうね

この広場は3つの駅とこのホテルが異なる建築様式を取り入れつつ、
広場の調和を崩していないのが興味深いよね

現在のホテルの経営はヒルトンで、
ホテル名はホテル・ヒルトン・レニングラーツカヤ・モスクワ

とうとうこの建物も西側資本の手に落ちたんだねぇ・・・

鉄道員総合診療所 I.フォミン 1933-36年

鉄道員総合診療所

構成主義の作品

正方形の平面でありながら、真ん中を中庭にして
道路に対して凹状にまとめ
2か所の丸みを帯びたファサードを演出した作品

通常角地での設計は凸状になりがちなところを逆転の発想で作ったんだよね

※地図はこの建物の中にある薬局を指しているよ

運輸人民委員部ロシア連邦運輸省 I.フォミン 1930-36年

交差点に面した建物コーナー部のまとめかたがいいね

18世紀の在郷軍人宮殿と隣の建物を利用して作った建築

1-2階部分は既存の建物の側面に柱を付け構造的に補強し、
3-5階部分を新たに増築した。

猛進する機関車をイメージしたらしく、
角に時計塔を配しているあたりはニクイね

ファサード付近で垂直に連続している窓は、
既存建築からそのまま連続させ、
高さを強調しているんだよね

となりがスターリン・アンピールのセブンシスターズというのも皮肉だね

構成主義スターリン・アンピールの皮肉なコントラスト

鉄道省 1948-53年 A.ドゥーシュキン他

ホテル・レニングラードから徒歩すぐのサドーバヤ通りにある旧鉄道省

建設当時は真ん中の本棟が鉄道省の庁舎で、両脇の付属棟が住居だった。

サドーバヤ通り沿い、しかも鉄道広場から徒歩圏ということで、
立地としてはいいし、
なのに、なぜか全く人気がない存在

日本人駐在員にセブンシスターズクイズをすると、この建物だけ名前が出ない・・・

まず、高さが133mでホテル・レニングラードに次いで低い

しかも色が白いし、奥行がないし、特に装飾がない
特に正面から見るとのっぺりしている
この辺りが不人気の理由かなぁ

やっぱり大きさって大事

そう思うとスターリンが超巨大建築を建てたことも
意味があったんだね

※地図は当該ビルのテナントを指しています。

ロシア連邦農業省 A.シューセフ 1928-33年

これは分かりやすい構成主義だね

均等のとれた非対称で、
構成体を強調する帯状のガラスや
構成主義に許された唯一の装飾ともなど、
構成主義の特徴をほぼ全て取り入れた特徴的な建築物だよ

角のの切り方もとってもおシャレだよね

シリンダー部分がファサードになっていて、サドーバヤ通りでも存在感を発揮してる

シリンダー部分

私のかなり大好きな構成主義建築

構成主義建築の向こう側にスターリン・アンピールという構図も撮れるよ

ロシア統計委員会 ル・コルビュジエ 1928-35年

ロシア統計委員会

構成主義の全盛期に建てられたソ連で唯一のル・コルビュジエによる建築

柱に支えられ中空に浮かぶ3つの長方形の建物
その中央に位置する円形のファードを持つ大ホール
という構成

コルビュジエの建築要素であるピロティ、自由な平面、屋上庭園、横長の窓、
独立した会議場、そしてそれらを軽快にまとめる立体感が全て詰まった作品

コルビュジエ構成主義の黄金期にこの作品を手掛け、
次の時代の幻のソヴィエト大宮殿コンペにも参加したものの、
ソ連において建築はスターリン・アンピールの時代になってしまう・・・

次の時代において、この斬新な建築は「奇妙な足を持つエイリアン」とまで酷評され、
その特徴ともいえる、長方形の建物を支える足の部分はコンクリートの壁で覆われてしまった・・・

コルビュジエ様になんてことをするんだか・・・

 

正面はアカデミカ・サハロフ通りПросп.Академика Сахораваなんで、
間違って、ミャスニーツカヤ通りМясницкая Ул.から見ないようにね。
そっちは裏側だよ

関連リンク

初心者向け ロシア建築の歴史

建築探訪

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